AI時代の泳ぎ方

AI時代のリスキリング論

tom's eye 113. カラオケから貸しスタジオへ

最近、ギターなど重い楽器を担いで街を闊歩する若者を見かけることが多い。

いや、若者に限らないな。中年や高齢者の方も重いのを持って歩いてたりする。

また、街のあちこちで貸しスタジオやボイストレーニングの学校を見かけるようになった。

 

一方、カラオケ需要は減っていると言う。シダックスが店舗を大幅にクローズするそうだ。

 

このことは何を意味するのだろう。

 

元々カラオケは、気の置けない友達や家族どうしが自分の唄を披露したり、それによって個人のストレスを発散したりできるのが楽しさのもとだった。

その意味で、カラオケボックスは手軽でこじんまりした「快空間」、「快時間」だった。

しかし、かねてから言われていたのは、「カラオケは所詮自己満」ということ。

つまり、自分が歌うことが目的であって、友達であっても他人の唄を聞くことは本当の目的ではない。極端に言えば、他人の唄など聞きたくない。できれば自分の唄だけ唄って聞かせたい。そういう性質のアソビであることだ。

 

そこに対し、一つの空間でカラオケを楽しむ者同志は、お互い何らかの違和感があった

 

それに対し、バンドや合唱、つまり楽器や歌を皆で演奏する行為はカラオケとは似て非なるもの。共同で何かを創り上げる行為だ。

 

人々はそちらの方がより楽しいと気づき始めてきたのではないか。

 

カラオケも貸しスタジオも共に快空間、快時間だが、そこには快の質の進化がある。

個人発散から共に創り上げる喜びへ

人間らしさの一つだな。

 

  

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tom's eye 112. グローバル人材育成について

今回は、グローバル人材育成(企業内教育)について

それも、同じ職種の人たちをどう育てるかというテーマで語ってみたい。

 

一昨年インドに入って、ローカルのストラテジック・プランナーと協働してた時のこと。

インド人のプランナーは結構シニアだったのだが、言動としては、意外に初期のステージだなという印象だった。

 

他国との比較から言うと、インドは15世紀と早くから西欧諸国の文化が入っているし、基本英語圏だから、マーケティングも他の新興国より浸透、成熟しているのかなと思っていたのだが、数回のやり取りでそうでもないと感じた。

 

教育というのは、どこへ行っても、初歩からやっていかねばならないのだなと再認識したのを思い出す。

 

そこで、企業内でのグローバルな人材教育の過程の考え方はどうあるべきか思い至った。

 

思い出すのは、15年前にバンコクに駐在している時、本社の管理部署の人間から、

「須藤さん(筆者の本名、職種はストラテジック・プランナーだった)の役割は、

2~3年で現地にノウハウを教え込んで帰ってくればそれでいいんです。」

という乱暴な意見に反発を覚えたこと。

 

現地にいて一緒にやっている立場からすると、OJT(=オンザジョブトレーニング)教育はそんな簡単なもんじゃないと、その時咄嗟に思ったのだが、うまく反論できなくてとてもくやしい思いをした。

 

もはや15年前の話だが、今なら、その話を育成の話として整理できると思うので、

記すと、

人が学び、成長する過程は、大きく3つに分かれるのかなと思う。

(1)最初が、教えられるステージ(Teaching)

(2)二番目が、指導されるステージ(Coaching)

(3)三番目が最後で、自律して進めるステージ(Proacting)

経験から言うと、Teachingのステージが重要なのは言うまでもないが、Coachingが大変かつ時間がかかるという認識だ。

 

つまり、人が自律的にものごとを進めようという意識変革までもっていく経験と気づきをどう与えるかが、個人の資質もあいまって、すごく大変なのだ。

 

僕がよく人に言うのは、「13年間海外でやってきて、何人もプランナーを育てたけど、第三ステージまで到達したのは、タイ人と中国人の女性2人しかいない」と。

 

また、帰国してから、同僚の会社の役員が言っていたのだが、「研修というのは、TeachingよりCoachingの方が効くと思うんだよね。」という話は、第二ステージが大事ということを言っていて、その辺は同感。

 

かといって、ずっと現場でやっていた身としては、効果的なソリューションはないと実感している。

世間では色々グローバル人材育成の要諦は~、プログラムは~と騒いでいるけれど、結局は、教える人の資質頼みになってしまうのが実情だ。

 

僕に言わせれば、Coachingで短時間に自律を促せる人が、グローバルで教えられるだ。

 

それでも時間がかかるけどね。

 

  

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tom's eye 111. 選挙で圧勝後、新安倍政権は何が問われるか

2018年10月22日の選挙で自民党が圧勝し、安倍政権の続投が決まった。

あまり政治の話は自分の守備範囲ではないが、一つ感じていることを記す。

個人的な関心は、国民の期待や関心は何に移るだろうということ。

消費税の使い道変更、全世代型社会保障への転換だろうか。否

筆者は「賃金の劇的上昇」だと思う。

 

20日の日経新聞に面白い比較が載っていたので、それを整理してここでご紹介すると、

アベノミクスの4年間は民主党時の3年間とどう違うか

GDP 年率1,1%(民主党時 1,8%)→ 民主党時の方が高い

②雇用正規+20万、非正規+210万(民主党時 -50万、+80万) → アベノミクス時が、200万人多い

③所定内給与上昇率 0,5%(0,4%)→ トントン、双方とも低迷

④加えて、アベノミクス時は、株価2倍、地価の上昇が特徴。

 

つまり、アベノミクスを総括すると、

圧倒的に雇用を増やしたことと、金融資産を増加させたことが成果だ。

 

だから、資産を持ってる富裕層が得したなということと、

でも自分の給与は上がってないから実感のわかないというサラリーマンが大半

というのが今の国民の感覚だろう。

(雇用の大幅増という面では、民主党時のような失業の恐怖からは免れたけどね)

 

今後は、この実感のわからないサラリーマンの給与をいかに劇的に増やせるかどうかが勝負と予想する。

 

  

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tom's eye 110. 自分の人生をブランディングできる時代

​レッテルは大事だ。

何故かと言うと、大半の人間は自分を知らないのだから。増してグローバル時代になって、世界中の人と交流がはじまるのだから尚更そうだろう。

 

人はその人間を知らない時、レッテルで判断する。

 

例えば、エネルギー政策研究所の人が原子力発電の今後を語る時、相手は耳を傾けるだろう。その人が経理や総務担当だろうと関係がない。

 

だとすると、若い諸君がキャリアプランとして、3〜5年後、どんなレッテルを持ちたいかは重要なイシューだ。

 

もし、僕が学生だったら…

間違いなく東大というレッテルは目指さない。(どうせ入れないという議論は置いておいて)

自分は文系だったが、「頑張って理系の大学に入って、在学中にシリコンバレーイスラエルで2年VBにチャレンジしました…」かな。

 

もし、20代前半だったら…

クラウドワークスで、データサイエンティストとして2年間ビッグデータ分析のナビゲーション業務をやってました…」かな。

 

これだけ情報化社会になると、レッテルをイメージすれば、自分の人生をブランディングできる時代だ

 

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​tom's eye 109. コンテンツの進化 VR×学習系のコンテンツの可能性が増す

一瞬何のことかわからないだろうが、筆者に言わせればこういう理屈だ。

 

マーケティングは人間の解明に向かっていく。

 

人間は「成長」と「快楽」を志向する動物だ。

元々リアル世界しかなかった人類が、コトバという記号やビジュアル、音楽や動画という脳に心地よい暗号をパッケージにして、自分たちの生活に取り入れ始め、そして、昨今のITの変革により、サイバーやVRの世界でもより進化したカタチのものを手に入れ出した。

 

これをコンテンツと呼ぼう。

 

「成長」は学習系コンテンツ「快楽」はエンターテイメント系コンテンツを消化しながら、人は成長し、生活を楽しみ、人類は進化する。

 

この図を見てほしい。コンテンツの進化を示したものだ。コンテンツの進化は間違いなく、右方向に進んでいる。

 

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書籍を代表とするテキスト系から、マンガ、コミックなどの静止画(ビジュアル)系へ、静止画系から映画、ドラマなどの動画系(含音楽)へ、

そして、これからの流れは、動画系からVR系だ

 

今後、VR系の広大なフィールドでのコンテンツの戦いが始まるだろう。

 

同時に、筆者にはエンタメ系コンテンツもさることながら、学習系コンテンツに大きなポテンシャルが見える

 

何故なら、AIの進化により、高度知識社会が訪れるからだ。

 

かつて人間がやっていた比較的高度な知識労働をAIが代替するのは世間で言われている通りだが、

それをコントロールする人間には、それ以上に学習が必要になってくるからだ。

 

 

VR系は、今後雪崩を打ったように学習系コンテンツの開発が進んでいくだろう。

 

 

 

     

​tom's eye 108. 将来の人間とAIの関係から商品の選択行動はどう変わるか

最近、アマゾンの「ダッシュボタン」で購入していた洗剤にやや飽きたX氏は、AIにこう話しかけた。

​「ねえ、アレクサ、ちょっと洗剤を変えてみたいんだけど何がいいかな」

画面にいくつかのブランドが現れた。一番右のは見た事ないんだけど新製品かい?」

「はい、3ヶ月前にライオンから出ました」

「評判はどうかな?」

画面にいくつかの口コミが現れた。

「ふーん、悪くないな。一回試してみるか。アレクサ、オーダーしておいて」

「はい、わかりました」

これで購買行動完結。

 

ここからメーカーのマーケティングはどう変化するか類推する。

 

まず、横並びの製品比較でいかに優位性を作るか=比較プレゼンテーションの進化(おそらくビジュアル要素、動画要素も加えられていくだろう)

 

次に、消費者が評判を知りたいと言った所でいかにいい生声を出現させるか

カスタマーエクスペリエンス情報が価値化する、

また、評判のビッグデータ化と可視化が進展

 

態度変容はこの2点にかかってくる。

 

でもいずれも中立データというのがミソだ

 

メーカーが自社に有利な情報をはめ込もうとしても、この文脈にはなかなかはめ込めない。

一方、AIはこの横並びの基準や口コミの上がってくる基準を作ろうとする。しかし、いずれも生活者の要求に近い形で収斂されていくだろう。

 

生活者主導社会の一断面だ。

 

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tom's eye 107. モチベーションの重要さ

先日、中国駐在を長く続けている方から今の中国の状況をご教授頂いたが、

日本にいるとわからないだろうが、中国はもう日本を追い越していると力説されていた。

もちろん、企業力とか経済力とか経済面での話なのだが、

僕が中国に着任した2006年頃、今から10年前は、日本企業に「何でもかんでも教えてください」というスタンスだった

 

それが5年前には、かなりキャッチアップしたなという実感を持って僕は帰任した。

 

そして5年が経ち、完全に追い越したよという発言。

 

一人の人間レベルで考えると、最初はなにもわからないジュニアだったが、

10年切磋琢磨した結果、世界でも誇れる人間に成長したという言い方もできる。(もちろん一部の人間だが)

 

話は突然前後するが、今インドにいる。

 

街歩きをしていても、人と動物(牛とか)とクルマが混然とうごめいており、クルマに乗っている人たちは富裕層、道路を歩いている人たちは貧困層と、貧富の差が、まだ歴然としている社会だ。

 

そんな国でもトップクラスの人たちは世界のIT企業で活躍しているし、その予備群も続々と現れている

 

後5年、10年で今の中国のような軌跡を描いて成長するのではないかと感じる。

 

何を感じたかと言うと、人間一代でもこんなに変われるんだと言うことだ。

世の中の変わり方は速い。

 

その中でやはり、教育って大事だなということ。

 

しかし、その中でも最も大事なのは、「モチベーション力」だ。

 

「やってやる」という意欲を高め、持ち続けると人間は変われる

 

特に、ネットが普及して、教育関連のコンテンツはほぼ無料で手に入る時代になって、

教育はそこが焦点になるだろう。

 

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