AI時代の泳ぎ方

AI時代のリスキリング論

tom's eye 113. カラオケから貸しスタジオへ

最近、ギターなど重い楽器を担いで街を闊歩する若者を見かけることが多い。

いや、若者に限らないな。中年や高齢者の方も重いのを持って歩いてたりする。

また、街のあちこちで貸しスタジオやボイストレーニングの学校を見かけるようになった。

 

一方、カラオケ需要は減っていると言う。シダックスが店舗を大幅にクローズするそうだ。

 

このことは何を意味するのだろう。

 

元々カラオケは、気の置けない友達や家族どうしが自分の唄を披露したり、それによって個人のストレスを発散したりできるのが楽しさのもとだった。

その意味で、カラオケボックスは手軽でこじんまりした「快空間」、「快時間」だった。

しかし、かねてから言われていたのは、「カラオケは所詮自己満」ということ。

つまり、自分が歌うことが目的であって、友達であっても他人の唄を聞くことは本当の目的ではない。極端に言えば、他人の唄など聞きたくない。できれば自分の唄だけ唄って聞かせたい。そういう性質のアソビであることだ。

 

そこに対し、一つの空間でカラオケを楽しむ者同志は、お互い何らかの違和感があった

 

それに対し、バンドや合唱、つまり楽器や歌を皆で演奏する行為はカラオケとは似て非なるもの。共同で何かを創り上げる行為だ。

 

人々はそちらの方がより楽しいと気づき始めてきたのではないか。

 

カラオケも貸しスタジオも共に快空間、快時間だが、そこには快の質の進化がある。

個人発散から共に創り上げる喜びへ

人間らしさの一つだな。

 

  

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