大昔から、人には性格というものがあると皆感じていた。
多血質: 快活、明朗、気が変わりやすい、世話好き
胆汁質: せっかち、短気、意志が強い
躁鬱質: 用心深い、苦労性、悲観的
粘着質: 冷静沈着、冷淡、粘り強い
の4つがあるとした。
その原因が4つの体液から来るとしていたのは、さすがに現代医学の観点からは通用しないが、
「人は4つの性格に類型化されるんだ。」という観点が僕には面白い。
「自分は何か人と違うと感じる。一体どういう性格なんだろう。」
「こいつ何か俺と違う。一体どういう性格なんだろう。」
人間は人付き合いが基本だからこそ、それに常に悩んだり、ストレスを抱えたりしている。
それを何とかタイプ分けして合理化し、脳に刻み付けたい。そうすれば人付き合いに悩まなくて済むという動機から来ているのだろう。
血液型(による人の類型化)というのは、そこに源流がある。
血液型が性格を規定しているとは全く思わないが、
人間の人の性格への興味やそれを何とか分類したいという意欲は永遠で、
それが血液型という意味のない符号につながっているということなのだろう。
それにしても、何故4つなのか。