AI時代の泳ぎ方

AI時代のリスキリング論

tom's eye 93. ​小売りはいずれセブンイレブン 対アマゾンの戦いになる

日本の小売りの戦いは、いずれセブンイレブンとアマゾンの戦いに集約されると言っても過言ではない。

 

今後は、食品×宅配が戦いの主戦場になる。

宅配を含む食品通販市場は、2020年に4兆円弱と5年で1割増えると予測している。(セブンイレブンジャパンの説明 2017年4月22日 日経)

この数少ない成長市場に両巨頭が挑む。

 

セブンイレブンは店舗を起点にした現代版御用聞きで攻め、

アマゾンは、アマゾンフレッシュというブランドを作り、自慢のネットプラットフォームを生かして攻める。

 

筆者は、数々の商品開発実績があり、スピードも素早いセブンイレブンが、アマゾンに比べ一日、二日の長ありと思う。

 

食品のSPA構造を作って、家庭まで届けるワンストップにまで発展すれば、魅力ある商品力に加え、価格競争力をも持って生活者を逃さないだろう。

 

但し、弱みもある。

セブンはネットプラットフォームまで結びついていないことだ。あくまでリアルでビジネスを作っている。

 

一方、アマゾンは、米国で1兆5千億円を投じて、全米で450店舗を持つホールフーズを買収したように、日本の食品スーパーを買収するなどして、リアルショップの確保を虎視眈々と狙ってくるのではないか。

 

 

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tom's eye 92. 未曽有のバーチャル・リアリティ時代へ

1876年​ベルの電話の発明によって、コミュニケーション手段は対面から電話へと拡大した。コミュニケーション手段が時空の「空」を超えた。

 

その代わり、伝える(媒介する)手段は、全身から口語の言葉になった。

(対面の場合、口から発っせられる言葉だけではなく、顔の表情、身振り手振りなども、言いたい事を伝える大いなる手段であった)

 

20世紀インターネットの発明によって、コミュニケーションは電話からメールになった。コミュニケーション手段は「時空」を超えた。

 

その代わり、媒介するものは、口語からテキストになった。

テキスト言語は、対面のように全身で伝えることはできないのはもちろん、口語のように抑揚も伝わらず、いわゆる文字という象形化された記号だけで伝えたいことを表現しなければならない。

 

これによって、人類はかつてなく、脳を鍛えなければならなくなった

と同時に、このメールというコミュニケーション手段が色々便利だし、らくだと言う事も体感した。

 

何故なら、対面は全身対応なので疲れると共に時間を消費する。

電話も同じく、時間を消費してしまう。

 

それに比べれば、メールは脳対応だし(全身対応ではない)、休み休みアクセスできるので、体は楽になった。

 

いつしか人は、全ての人に面着するのは面倒と感じるようになった。

 

同時に、バーチャル上でかつてない多くの人と接することができるようになった。

 

人類は、未曾有のバーチャルリアリティ(VR)時代の入口に立っているいると思う。

 

          

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​tom's eye 91. 人づくりはリーダーづくり、リーダー量産の時代だから大変

そもそも、人間社会は、養ってもらう。養ってやるの二タイプの人間から出来ている

 

これは認めたくなくても、認めざるを得ない事実た。

 

古くは養ってやるの役回りはお父さんであり、会社では社長、社会全体では政府だ。

養ってやる役回りは、別の言い方で言えば、リーダーだ。

 

今、社会全体の変革を余儀なくされている中、人づくり革命が政府のアジェンダになっている。

そして、8月3日の安倍内閣は改造を行い、人づくり革命担当相なる新ポストを用意し、茂木敏光・経済再生相が兼務することになった。

 

人づくりは、つまり新しい社会でのリーダーづくりだろう。

 

中期的には教育改革だろうが、当面の一番大きいインパクトは、働き方改革。

つまり、会社だ。

 

集団主義から個人主義への流れの中、

会社や組織は、大から中小への流れに移っていく。

また、起業やフリーランス化への流れだ。

 

そこで必要になるのは、リーダーの量産だ。

 

いわゆる養ってやる役回りの人間を相当増やさなければならない

 

あなたにも火の粉は降りかかる。大変である。

 

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​tom's eye 90. オムニチャネルに一番近い位置にあるもの ご近所スーパー

今やネットを使った消費総額のうち、13%が出前を除く飲食料品だ。(8月1日 日経新聞より」)

 

世界でも未曽有の高齢化社会を迎える日本では、

この食料品やティッシュ、トイレットペーパーなどかさばるトイレタリー用品など

日常最寄品もネットで買うという動きは、今後さらに加速するだろう。

 

ここでのネットでという意味は、宅配でという意味合いの方が強い。

 

日常最寄品を扱うスーパーやドラッグストアには、ここに勝機がある

 

彼らは店頭を持っている

 

お客さんは、そこで日常最寄り品を自分の目で確かめ、購入することができる

 

つまり、ご近所の商圏を設定し、店頭でネット注文された品をその日や指定日に宅配するビジネスモデルを拡大するのだ。

 

もう着手しているというなかれ。

なかなかうまくいかないんですよというなかれ。

 

高齢者にちゃんとその利便性を認知させているか

店頭、顧客の自宅、スマホ全て連動させているか

店頭でキャッシュレス決済を徹底させているか

 

まだまだ改善の余地があると共に、これからもっと伸びるというシナリオを描いているかだ。

 

これからのスーパーの勝機は、注文配達を取り入れたご近所よろず屋にありだ。

 

    

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tom's eye 89. 浅田真央のコーチ佐藤信夫の生き様はグローバルマーケティングに通ず

浅田真央ちゃんのコーチ佐藤信夫さんの生き様を民放局で見てなるほどど思ったこと。

 

コーチと選手の関係は、50対50で進むのではなく、51対49だ。」

真央ちゃんに、「その51を僕(佐藤)に頂戴。」と言った。

 

人の一生においてのコーチングの大切さ、価値を再認識したと同時に、

この発言はグローバルマーケティングにも通ずると思った。

 

今、中国でもアジアでも現地と合弁企業を作り、

50対50という対等の出資で双方利益をあげようという考え方がとかくありがちだが、

コーチと選手という関係で見ると、これは必ずしも選手を立派に育てるのにいい数字ではないということを示唆している。

 

やはり、コーチに1%の力の差いざと言う時の意思決定権を与えるべきなのだ。

 

佐藤さんの実績と発言は、その方がうまくいくということの証だ。

 

ここ数年、日中関係、日韓関係が良くない。

 

その背景は、言うまでもなく、経済レベルが日本と比較できるまでに追いついてきたからであろう。

彼らにしてみれば、ようやく対等にものを言える段階になってきた、だからものを言うし、現地でやる以上主導権は我にありという思いなのだろう。

 

しかし、よく見ると日本にまだ一日、二日の長がある企業が多い。

そういう状況を冷静に考えれば、コーチと選手の関係になぞらえて、

1%の優位をコーチである日本に与えて物事を運ぶほうがうまくいく気がするのだが…

 

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​tom's eye 88. 第4次産業革命を勝ち抜く企業とは

第4次産業革命で勝ち抜く企業を考えてみた。

 

極言すると、

 

顧客接点を持つ

その顧客と接触し続ける

接触関連のビッグデータを持つ

そこから発見した顧客インサイトを踏まえ、商品・サービスを絶えず改善する

 

ではないか。

 

車メーカーが危機感を持っていると言うのも、シェアへの移行もソフトへの移行も、その主体が顧客のビッグデータを持つ優位があるから、常に顧客視点に立って考えることができるからということ。

 

ITは道具であり、企業の勝ち残りは、あくまで顧客=人間を見つめることで決まり、顧客ビッグデータは大きな役割を果たす。

 

そして、マーケティングは「人の解明」に焦点を移す

 

 

 

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tom's eye 87. 都市の進化は「快」の進化

筆者は、2013年に中国駐在から戻ってきたのだが、

六本木ヒルズ、品川、汐留、日本橋、丸の内など、

都心のそこかしこに気持ちのいい空間が生まれているなと戻ってきてつくづく感じた。

 

人々の導線、交わり、共用空間、自然との共存など、そこで一定時間を過ごす人が快適に過ごせるようになってきている。

 

エアコンディションの環境もここ半世紀で劇的に改善したものの一つだろう。

過度に冷やさず、過度に熱くせず、外気温との境目を曖昧にするなど、技術が格段に進化した気がする。

気温や湿度の管理は、人間が快適に暮らす条件の一つとして大きい

 

 

一つ思うのは、日本は高度成長期を過ぎたあたりから、都市は利便性を追求してきたと言うよりは、「快」を志向してきたのではないか。

 

再開発された地域は、明らかに過ごすのに快適になっている。

 

これからの人間は、社会は、「快とは何か」をさらに突き詰めて考えていくのではないか。

 

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