AI時代の泳ぎ方

AI時代のリスキリング論

tom's eye 182. スマホメモと紙のノート

僕は「スマホメモ」を出版したように、普段のメモはほとんどスマホで済ませている。

でも紙のノートもいまだに使っていて、例えば、講演者の話を大量にメモしたり、個人作業で、全体を俯瞰してまとめたり、矢印や枠囲いなどして関連づけしたりする時にはいまだ手放せない。

こうした行為も含めて、できればスマホ、電子デバイスに完全移行したいのだが、こちらが求める電子ペーパー的機能にメーカーが追いついていないことが不満だ。

ワコム富士通がそれなりのトライはしているが、いずれも不満足。

 

不満足のポイントは2つに集約される。

 

一つは書き味が悪いことだ。

固い液晶画面に、これまた固い電子ペンのペン先で書くのがなんとも感触が悪いのだ。

柔らかいノートに極細のボールペンでサラサラと書き殴ることで、今、自分の脳が考えていることを再現できるのに。

 

そしてもう一つは画面の小ささだ。

ならタブレットを使えばいいじゃないかと言うかもしれないが、今のタブレットは持ち歩くには重すぎる。

 

第一、筆者はあくまでスマホで済ませたいのだ

スマホに全部集約してこそ価値があるのに、スマホとは別にこうしたデバイスを持ち歩くのは勘弁願いたい。

 

電子ペーパーのメーカーさんにお願いしたいのはこの2点の解消だ。

 

筆者のアイデアでは、折り畳みスマホをベースに、見開きノート風の使い方ができるようにすること。それと画面と入力するペンの感触をできるだけ手書きに近い工夫をする。

それができれば大きな市場が開けると思うのだが、なぜかメーカーはまだ積極的じゃない。

代わりに文具メーカーやらノートメーカーがいまだに頑張っていて、アナログな工夫や僕にとっては中途半端なデバイスを開発して、手書きの良さをアピールし、死守している。

 

ものを書いたり、描いたりすることは重要な知識創造行為。

ITや電子デバイス技術を使って、今その革新が起きようとしているのに、

肝心の書き込みとそれに伴う思索作業の部分から、まずは手を付けていくことが人類にとって重要なのに。

 

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