tom's eye 189. 日頃検索していて思うこと。
検索の質をAIを使って上げることはできないかな。
いつも思うのは、広告がうざいのと古い情報が混在していることだ。
さらに情報の深掘りのための検索の時、
例えば分析的な情報のあるものに絞り込んだり、
「この情報に興味がある場合はこれを検索せよ」みたいなリコメン機能があるといい。
ちなみに、グーグルの検索のコツを引いてみてもろくな手法が出てこない。
人類の知識創造のバージョンアップのために必須の改良だと思うが。
tom's eye 189. 日頃検索していて思うこと。
検索の質をAIを使って上げることはできないかな。
いつも思うのは、広告がうざいのと古い情報が混在していることだ。
さらに情報の深掘りのための検索の時、
例えば分析的な情報のあるものに絞り込んだり、
「この情報に興味がある場合はこれを検索せよ」みたいなリコメン機能があるといい。
ちなみに、グーグルの検索のコツを引いてみてもろくな手法が出てこない。
人類の知識創造のバージョンアップのために必須の改良だと思うが。
幣著「スマホメモ」に対するブクログのユーザーの感想。言いたいことが伝わってうれしい。
↓
「情報過多の現代では、インプットの作業の方が圧倒的に多くなり、アウトプットがなかなか出来ていない状態だ。著者が言いたいことの一つには、このインプットとアウトプットのバランスが大事であるということ。
アウトプット作業の手助けになるのが、現代人がいつでも傍に持ち歩いているスマホの「メモ帳」である。
このメモ帳の使い方(それほど難しくない)というよりは、メモ帳で貯めたメモから、自分の思考回路を分析しようというのが本書の狙い。この分析方法や、分析から得られる自分の可能性の見つけ方など、システム思考につながるような思考方法が書かれている。
読んでいて、「なるほど」という事が多く。早速、スマホのメモ帳欄を活用してみた。まだまだ、箇条書きで貯めている段階であるが、ここから「見直す」「俯瞰する」作業が大事なので、必ず実行してみたいと思った。紙のノートに羅列したメモを整理するのは、難しいが、データとしてのメモなら、整理しやすいと思う。」レビュー投稿日2019年5月26日 ブクログ
独立して思うのは、個の価値と自由を見つめられるようになったことだ。
絶えず自己の価値を研ぎ澄まさねば生きていけない危機感と
一方、何物にも巻かれないという選択の自由、インディペンデント感が心地いい。
起業やフリーランサーの矜持は、そこらへんにある。
人間は集団で知恵を出し生きていく動物だ。
だから、人間の幸せの原点はギブ&テイクにあるし、精神的にもそれが快をもたらすように仕掛けられている。
未来は個の時代になっていくと言われているが、人類が進化していく方向に我々は身を置いている。その辺の先取り感も心地よさの一つにあるのだろう。
2016年、モネの晩年の大作「睡蓮・柳の反映」がルーブル美術館の収蔵庫で見つかった。それは長く埋もれ、腐食が進行、大量の埃も堆積し、さらに上半分が消失していた。
それを復元するプロジェクトをNHKスペシャルで見た。
筆者は、特にAIで上半分をどう復元するのかに関心を持った。
AIによる自己学習をどう設計するか。
データサイエンティストはどう動いたかと言うと、
最初はモネの生涯の絵の中から、「色使い」を300万箇所分析させ、そこからの知見を活用。
しかし、①暖色の色使いが多すぎる、②画筆のダイナミックな動きが感じられないと専門家からダメ出しを食らった。
そこで技術者は、この絵が書かれたモネの晩年の時期に絞って学習データを調整した。モネの色調は時代によって変わっており、晩年のものに絞った方がいいかもしれないという判断だった。
そしてもう一つ、モネに似た画風の画家にモネの「筆使い」の特徴を分析させ、パターン化し、それを基準に加えてAIに学習させた。絵のダイナミックさは「筆使い」からくるという仮説を持ったからだ。
この結果、最終的に専門家も納得する復元が実現した。
ここから何が学習できるか考えてみた。
①人間の脳が何を考えているか可視化する時、その考え方に捉われている時代にデータを絞って学習データにしていくという考え方は有効。つまり、あらゆるデータをぶちこんでも有効な結果が出ないことがあるということ
②データサイエンティストは、目的に対して最適な結果を得るのに、学習させるデータの基準を明確にすること。この場合は「色使い」と「筆使い」
③なので出来上がったものは、結局②のバイアスがかかっている。つまり本来の100%のものではない
④結局、データサイエンティストの見立て=個人の知恵こそ成果物の元にある。
この見立てができる人=人間の特性をよく洞察できている人が結果を左右するのであり、データサイエンティストとはその能力が高い人ということだ。
前回、クルマの自動運転の普及で、
移動時間をどう過ごすかというマーケティングが浮上すると書いたが、
その時、人々はどう対応するだろうか考えた。
2パターンあると思う。抽象化して言うと、
一つは消費。それこそ周りの景色を眺め、ボーっと過ごしたり、ゲームや雑誌を呼んで楽しむ。
もう一つは生産。つまり、一日の中の知的生産活動に組み入れる。
わかりやすく言えば、仕事をしたり、打ち合わせをしたり。あるいは自分の知的作業をするのも一種の生産活動だ。
考えてみれば、移動というのは人の生活でかなりの時間シェアを占めていた。
そして、大半は満員電車で人の波に揉まれボーっと過ごさざるを得ない、あるいは自家用車、社用車で目的地に向かって運転するのに集中せざるを得ない環境が普通だった。
大げさに言えば、そこから解放される時代がやってくる。
志の高い人間は、この貴重な移動時間を知的作業や仕事に振り向けるようになってくるだろう。
この時間をそういった知的生産活動に振り向けだしたら、彼らはかなりの知的レベルに上昇していくはずだ。
AI時代の到来で、今でも知的格差が生まれると言われているが、
移動時間がそれに充てられると相当な格差を生む時代が来るのではないか。
クルマの自動運転が普及してくるとどうなるか。
意外に意識していないのは、敏腕ドライバーからすると、かったるい運転が増えて、いらいらする人が続出するのではないかということだ。
AIは安全運転を前提として設計されるから、速度違反は言語道断、無理な追い越しや詰まった車間距離などは絶対に避けるプログラミングをされているだろう。
しかし一方で、AIが目的地までの移動時間を正確に知らせてくれることで、それなりの安心感を与えてくれると思う。
最初はかったるい運転ででストレスを溜め込むドライバーが続出するだろうが、
そのうち、「さあ、この移動時間をどうやって過ごすか」というマインドに変わってくるのではないか。
そしてそこにフォーカスが当てられた時、移動時間をどう過ごすかというマーケティングが浮上するはずだ。
僕は「スマホメモ」を出版したように、普段のメモはほとんどスマホで済ませている。
でも紙のノートもいまだに使っていて、例えば、講演者の話を大量にメモしたり、個人作業で、全体を俯瞰してまとめたり、矢印や枠囲いなどして関連づけしたりする時にはいまだ手放せない。
こうした行為も含めて、できればスマホ、電子デバイスに完全移行したいのだが、こちらが求める電子ペーパー的機能にメーカーが追いついていないことが不満だ。
ワコムや富士通がそれなりのトライはしているが、いずれも不満足。
不満足のポイントは2つに集約される。
一つは書き味が悪いことだ。
固い液晶画面に、これまた固い電子ペンのペン先で書くのがなんとも感触が悪いのだ。
柔らかいノートに極細のボールペンでサラサラと書き殴ることで、今、自分の脳が考えていることを再現できるのに。
そしてもう一つは画面の小ささだ。
ならタブレットを使えばいいじゃないかと言うかもしれないが、今のタブレットは持ち歩くには重すぎる。
第一、筆者はあくまでスマホで済ませたいのだ。
スマホに全部集約してこそ価値があるのに、スマホとは別にこうしたデバイスを持ち歩くのは勘弁願いたい。
電子ペーパーのメーカーさんにお願いしたいのはこの2点の解消だ。
筆者のアイデアでは、折り畳みスマホをベースに、見開きノート風の使い方ができるようにすること。それと画面と入力するペンの感触をできるだけ手書きに近い工夫をする。
それができれば大きな市場が開けると思うのだが、なぜかメーカーはまだ積極的じゃない。
代わりに文具メーカーやらノートメーカーがいまだに頑張っていて、アナログな工夫や僕にとっては中途半端なデバイスを開発して、手書きの良さをアピールし、死守している。
ものを書いたり、描いたりすることは重要な知識創造行為。
ITや電子デバイス技術を使って、今その革新が起きようとしているのに、
肝心の書き込みとそれに伴う思索作業の部分から、まずは手を付けていくことが人類にとって重要なのに。